森羅万象宇宙間に存在するあらゆるものに意図があり意識があるといわれています。
最近「宇宙意識」という言葉が良く使われるようになりました。
その宇宙意識こそが神の御意志であるという言い方をすることが、一般的になりつつあるのを見て時代の変化を感じています。
そこで神とは何かに少し触れておきましょう。
古代人達は荒れ狂う雨風や、火山の噴火を見て神の怒りを感じ、閃光鋭い稲光が大木を薙ぎ倒すのを見て神の仕置きにおののき、自然のエネルギーの巨大な力に怖れをいだきました。
その反面、太陽のやさしい陽光や月の光に、神の大きな恵みに感謝し、拾って来て食べようとした何かの種を保存のために地中に埋めたところ芽が出ていつの間にか成長し、驚いたことに拾って来たと同じような種が実の中から出てきて、これは神様の偉大な力が働いて自分達に恵を与えて下さったと誰もが思ったはずです。
古代人達は彼等が何もしないのに或る日、実がなっているこのことを理解するのに相当の長い時間を要したことでしょう。古代人は「神は大自然の営みそのもの。」つまり、ある時は厳しく、ある時はやさしく、ある時は幼い子供にとっての父母のように感じたはずです。
人々は神に対する感謝で一日が始まり、一日が感謝で終わる毎日でした。それも畏敬の念と共にです。
ここで人類は神を体験することになりました。大自然のエネルギーやその仕組みを人間の力ではどうにもならないものと感じ、それを神と呼ぶようになったのです。その神を解り易く感じ取る為に次々に擬人化していきました。
神の擬人化により分化が進みました。
まず根源の神があってそれを中心に、太陽の神は万物成育の神、月の神は人間の目にはふれない流通を見る神、つまり心の働きや血の流れ、地下水、海の満ち干など、太陽は日(火)の神、月は水の神であると理解を深めていきました。
又、風の神は風力で害虫を吹き払う害虫駆除の神、受粉の神、建設の神(人間の手には負えない大木を風の力で倒してくれて木材を供給してくれるの意)と崇めるようになり、この日の神、月の神、風の神を三貴神と稱し最も貴い神として、皇室の三種の神器となっています。神鏡=日の神、勾玉=月の神、神剣=風の神。
次回は神意識と人間です。