ではここで古事を繙いてみましょう。
「大宇は無より生じし、突如として存在神出現す。
その様混沌たり。形あって形なく定まることなし。雲のわき出る如くなり」
突如として存在神が現れたということはまず、存在を示す・点が現れたと推測できます。
混沌たりとは次々と・点がランダムにあちらこちらに現れて点や線や面が無作為に造り出されて行ったようです。
雲が涌いてその形は次々に姿を変えて行き、一定の形を保つことが無いということで物質宇宙の生まれた様子がわかります。最後に「これ宇宙創造の第一歩なり」とあります。
『古事記(712年)』の冒頭に
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主の神」とあります。
前述の存在神の名は日本では天之御中主の神であるということがわかりますし、「旧約聖書の創世記」にも「初めに神は天地を創造された。地は混沌であった」とありますが、神の固有名詞はありません。
「古事」「古事記」「創世記」とならべてみてもほとんど変わりなく、どうやら神が、この宇宙を創造したと人間が認識する以外、神と宇宙の関係を語ることが出来ないようです。
従って宇宙のごくごく微小な存在の人間が神の意識の全てを理解できるとは思えませんが、少なくとも小さな宇宙であるといわれている人間がその流れの一部を理解することは可能です。
では人間はどうすればいいのでしょうか。神の意図は明らかに膨張拡大にむかっています。
神意識の焦点はそこに当たっています。
従って人類も意識の拡大の方向でOKです。